アドラー心理学の「嫌われる勇気」
それは、そもそも「嫌われたくない」状況でも利用できるものなのか。
逃げられない。
辞められない。
そして、他に行きたくない。
これが前提の場合、「嫌われる勇気」は発揮できないのではないか?
もちろん、僕がこの心理学の真理に至ってないから、という理由はあるかもしれないが、、、
アドラー心理学の「嫌われる勇気」は、しばしば人に
「嫌われてもいいじゃないか」
「嫌われるのは怖い事じゃない」
「その人に嫌われるなんて、どうでもよい事だ」
「その人は君の人生において、それほど価値が無いんだよ」
「その人から縁を切られようが、君の人生には微塵の痛手もないんだよ」
と説く際に使われたりする。
「その人が自分の事を嫌うなら、その人は自分の人生にとって無価値」
であることを解くのだ。
このアドラー心理学「嫌われる勇気」を多用する業界は多々ある。
が、それを内側の人間(上司や同僚などの仲間内)に向けるように説く場合は極少ない。
どの業界も、その企業にとって大口ではなく痛手でもない人や営業先に向けられる姿勢だろう。
だから、だ。
「嫌われたくない」が前提の状況で、この心理学の利用方法が、僕にはわからない。
(嫌われないようにすればいいじゃないか、というのはこの話の中では論の外とするね)
嫌われたくない状況下で、かつ否応無くキツい言葉を向けられる。そんな中で、ストレスを受け流し、心を守る方法を探さなければならない。
僕は白血病。
心まで病む訳にいかないんだ。
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